夢に出る挫折体験

新年の2日は毎年高校野球部の新年会があります。
今年も前後何代か集まって50人くらいでやりました。

 
 
 
高校野球部時代の経験は今でも非常に活きています。
それは、大きな挫折体験とそこからの大きな反省としてです。
↓当時の写真

 
 
小・中とキャプテンで小さいころはエースで四番とか、
そういう野球少年でした。
が、高校に入り一転しました。
捕手だったのですが、一年で2名だけベンチ入りした一人になり、
「これはレギュラーになれる!」
と思ったのもつかの間、けがはするわ、守備うまくならないわで、
簡単にレギュラーの道は消え去りました。(練習量も足りなかったとは思いますが)
しかも、捕手から初体験の外野にコンバートさせられ、
より一層守備の下手さが目立ち、打つのだけはまぁまぁ出来ていたので、
いつの間にか代打メインが定着していました。
 
 
 
非常に悔しく守備の特練をした記憶がありますが、なかなか上達はせず、
その当時はどうして良いかわからず、「センスが無いのだから仕方ない。」
と片付け、勉強で結果を出そう。と切り替えていた記憶があります。
半ばあきらめて自主練も減ったことで、確かエースに怒られたことがありましたが…
 
悔しい思い出が強烈に脳裏に焼き付いているのか、
未だに月に1回位は野球部の夢を見ます。
大体、守備でエラーするような夢です(苦笑)
 
 
 
そうした大きな挫折体験と夢の影響もあり、
「人それぞれいろんなジャンルで”センス”は少なからずある」
「たとえセンスが無くても諦めない。」
「少しうまくいっていても井の中の蛙なだけだと思う。」
「(野球同様に)自分よりイケてる人は腐るほどいるから、そういう人に手伝ってもらう」
ということを意識するようにしています。
事業を諦めたら夢に出るどころじゃ済まないですからね。
 
 
 
最後に、高3時に書いた作文が、
今と変わらない雰囲気だと思ったので転載します。
史上初というか、歴史には残ることを絶対にします。やらないと死ねません。

 自称史上初プレイヤー

 自分は、史上初のプレイヤーだと自負する。その第一点は、三年間夏の大会ベンチ
入りを果たしつつ、結局補欠だったことである。同好会レベルの活動ならわかるが、う
ちの学校では初めてではなかったかと自負する。第二点はオーダーのミズノプロのキ
ャッチャーミットを買ってやわらかくもならないうちにコンバートさせられたことである。つ
い、ベンチ入りしたら買おうと決心していたがゆえに、我が家で一番高級なオブジェが
出来てしまった。おそらく全国探しても珍しいと自負する。第三点は、補欠のくせに、
場外ホームランを打ったことである。確かに、ちゃんとした球場ではなかったが、強豪校
でもない高校の補欠が場外を打つことはとても珍しいと自負する。第四点は、握力四十
ちょいでパワーヒッターといわれたことだ。めったにそんな握力が弱い人はいないのに、
それでいてパワーヒッターとして扱われることは、とても珍しいと自負する。
 あまり好ましくない史上初しかない。なので、今後は、名誉ある史上初を成し遂げら
れるようがんばりたい。
                                           佐藤竜也

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