自分がしてもらっていた事を振り返ってみる

6月から経営企画室という組織を設けて、
いわゆる管理部業務+より先を見据えた施策を佐藤直轄で打っていく。
という事をはじめました。
しっかり実務がこなせるメンバーですが、若いメンバーで構成されていて、
自分が学生時代に社長室なる組織にいた事を思い出しました。
 
 
 
前職の会社が上場する1年半前位からだったので、まさに10年前。(20歳の頃)
当時のフラクタリスト社長、現Y!社執行役員の田中さんの席スペースの中。
という不思議な場所に座っていました。
出社時は田中さんの横を通って奥にいく。という不思議な場所。
たまに、田中さんのおにぎりを買いに行くというミッションがある役割でした。
 
 
最初は現グリー社取締役の荒木さんと2人という豪華な組織で、
新サービスとか戦略とか色々考えていましたが、
荒木さんが辞めてしまい、私一人に。
 
 
その後、現ユナイテッド社の丸山先生とか現スモールブリッジ社長の橋爪先生とかが上司になって、
色々教えてもらっている中で、前職が上場したり、山あり谷あり谷あり谷ありで結構面白い経験でした。
 
 
今思うと、しょっちゅう田中さんと同行したり、(既に潰れた)六本木の温泉入りにいったり、
何故か田中さんち泊まったり、福岡まで急遽出張したり、
橋爪さんとおしゃれなバーに飲みに行ったり、
丸山さんに泣かされたりとかしてたなーと。
 
 
役割的に広報みたいな担当をさせてもらっていたので、
取材やら採用イベントやら、何から何まで同行して、
田中さんがビジョンを語るのを一番聞いていたんじゃないかという位でした。
採用イベントで後ろで話を聞いていたら、急に話をふられて、
上手く応えられず、頭の回転が遅い的な詰めをされたのは印象に残っています。
 
 
いずれにせよ、脇で何度も聞いていたからこそ、なんとかこの会社を良くしたいなー
と思って、谷あり谷ありの中でも頑張れたんじゃないかな?と思っていたりします。
大学3年の小僧にそこまでやってくれたのは非常に感謝です。
結果、そこそこは事業として恩返しが出来たと思っていますし、 
これからも恩返しをしないといけないなと思っているわけです。 
 
 
そこで自分を振り返ってみると、既に当時の田中さんと同じ年齢になってしまっているわけですが、
もっとそういう、若くても優秀な(自分が優秀だったという訳ではなく、、)メンバーに、
ガシガシ想いを伝播して起爆剤になってもらわないといけないんだろうなと思っている次第です。
 
 
ということで、対全社も当然やっていきますが、
とかく経営企画室的な組織については、特に泥臭く起爆剤になってもらうべく、
伝播作業をしないといけないなーやってもらっていたように。
と思っています。
 
 
一つ違いをつけておくとしたら、今後、
山あり富士山あり、エベレストあり!にしていくということですね。えぇ。
 
※ちょっと時期が後ろですが、当時の良い写真を見つけました。

この資料田中さんに喋ってもらうために作ったなー

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